なあんにも根拠ないけど、ネットに接する時間を制御しようと考えた。
その日のつぼにはまったら、いつまでもネットに対自するようになった。テレビが壊れたせいもある。PCを変えて、ノートだけど、前のより大きく重くなったので、PC用テーブルを居間の真ん中、それ以外に置くとこがない、におきっぱなしになったからもある。
それで、休日に起きて、立ち上げて、午前中ネットしっぱなしのこともあった。
本は通勤で読むが、新聞は家でしか読まない。で、ネットをやってて新聞読む時間もない。
ネットでニュース見るわけでもないが、新聞でニュース見るわけでもなく、ニュースを見ないのはかわらない。新聞は、ニュースというか海外のテレビ・ニュースにならない動向、評論、コラム朝日新聞社外の人の。
テレビゲームほど、非生産的なわけではないけど、ネットの情報は紙媒体より知的生産性が低いのではないかと、思えてきた。
世界同時性という意味では、今までにないメディアだけど、ネットの検索で知識を得ようとしている妻のような活用もあるが、私的自己表現、宣伝媒体、ショップなどの媒体に発展してきた近年のネット、ブログ元年2006年、からは、ネットから得るものが減少しているのかもしれない。今までどおりに接していると、思考に費やす時間を、浪費しているということもいえる。
情報の展開がない紙媒体、手元に広辞苑でも置いておけばよいのだろうが、と違い、わからないタームはすぐに検索し、そのページからの更なるリンクや、思わぬ検索結果から、違う興味に駆られもとのにはなかなか戻らないとかで、情報の取得、知識の吸収が散漫になってしまう。
ひとつのことに集中することができない。よしあしであるが、私はネットで刹那の興味が満足させられるだけなら、自らの思考を伴って吸収する知的冒険がしたい。
ねっとは、一日一時間。
メールや、音楽のダウンロードは、バナナです。
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