吉祥寺でおいしい餃子とまずいラーメンを食べた後、、一服したくなり目の前にあったコーヒーショップにはいった、僕がはらうということで。有名なチェーン 店だが、僕は入ったことがない店。つまは、コーヒーまずいという。なので、彼女はアメリカン。どうせまずいなら薄いほうが良いらしい。
私は、薄くコーヒー色の泡が浮くブラック(ブレンドより10円安く、店の人に違いを聞いたらミルクと砂糖が付かないからとのこと)
圧倒的に女性が多い店内。実はデニッシュ系のパンを店内で食するのがスタイルの店。
二階の喫煙可のフロアーで、何故か反省会。
「あなたは人の服を選ぶことに、誠意がない」
「自分の服なら一生懸命なのに」
(自 分の服ということで、気に入った着たい服を一点一生懸命選ぶのではなく、一点しか変えないから一生懸命選ぶのだよ。陳列されたシャツのうち、身に着けて受 け止められる人柄が、自分の望むものと違うであろうと想像できる以外のものであれば、様々なシャツを身に着けたいのだ。購入するとき悩むのではなく、今日 何を着ようか悩む、クロゼットにいっぱいシャツがつるされているのが、理想)
そんな言葉の銃弾を、身をよじってよけたところ窓外に視線が移りTITICACAの看板が視線に。
コンドルはマチュピチュの上空、くるりと輪を描いた。
Sunday, January 13, 2008
Friday, January 11, 2008
温室効果ガス削減の約束期間
2008年が京都議定書の第1約束期間(2008~12年)であり、年頭で、話題になっているが、その数字は、忘れてしまうだろうし、日々意識しないでニュースで取り上げられても、数字を思い出せないだろうから、備忘を録する。
先進国全体で1990年に比べ年平均5.2%削減することを目指し、日本は平均6%の削減が義務
日本は、基準となる1990年度の温室効果ガス排出量が二酸化炭素換算で12億6,100万トン。
だが2005年度の排出量は13億5,900万トンと90年度から7.7%増加した。
京都議定書は日本だけでなく、
米国7%、
欧州連合(EU)8%
米国はその後離脱
中国、インドには削減義務はない。
次期枠組み(ポスト京都)COP13 2020年に先進国が25~40%を削減する案
先進国全体で1990年に比べ年平均5.2%削減することを目指し、日本は平均6%の削減が義務
日本は、基準となる1990年度の温室効果ガス排出量が二酸化炭素換算で12億6,100万トン。
だが2005年度の排出量は13億5,900万トンと90年度から7.7%増加した。
京都議定書は日本だけでなく、
米国7%、
欧州連合(EU)8%
米国はその後離脱
中国、インドには削減義務はない。
次期枠組み(ポスト京都)COP13 2020年に先進国が25~40%を削減する案
Saturday, January 5, 2008
新宿山の手七福神
妻が、思い立ってというか思い出して、今日は神楽坂の毘沙門天の七福神めぐりby ウォーキング。
チンドンの動画がうまく取れた。 YouTubeにアップするにはフィルサイズが大きすぎて、YouTube サーバーに拒否され、サイズを小さくするために変換ソフトをさがし、どうにか できた。
神楽坂 毘沙門天 善国寺を起点にした。神楽坂は、様々な世代が訪れる街、何が目的なのか不思議な雰囲気。和菓子、甘味処と瀬戸物屋。
神楽坂に侵入して50メートルくらいで路上に瀬戸の猫の小物を発見、店内をみて回る。廉価なものから、高級品まで。先週から伊勢丹、高島屋と瀬戸ものを見て回ったが、ある意味品揃えで負けない店だった。妻は小さな猫の置物、ポーズでえらんで、結果エアロビをしてるような横に寝そべって短い片足を上げてるものを購入。
およそ、普通の商店街を抜けて坂を上ると、毘沙門天。七福神めぐりの起点として、朱印を集めるための色紙を購入。 お勤めをする座敷では、お払いだろうか祈祷?加持?踊るようにフラメンコのカスタネットのよう。妻は噴いちゃった。それなりに意味がありやってるのだろうけど、信心ないわれわれには、なにやら。
費用対効果が、私の消費性向で、無駄に高価なものでも、精神的満足を購入したことになれば、購入の意思決定となる。 お札、お賽銭、おみくじ。費用対効果ゼロ。なので、お参りはしなかったけど、七福神めぐり完歩。4時間くらい。飯田橋から新宿二丁目まで。そのご新宿駅まで歩いたの妻の万歩計では家に着くまで出16,000歩を越えていた。
Wednesday, January 2, 2008
気になること
TBSラジオのLife 生で聞いたのは7月の参議院の開票速報の後の時ぐらいで、もっぱらPodcastで聞いてる。先月は 12月30日放送で、昨日から小出しにアップが始まって、今朝Part2をダウンした。一年を振り返るということで、また本の紹介。で、気になる
先入観とか、思い込みをしないようにしようと普段思っていても、こんなところで思い込みの回路で考えていることに気がつく。
戻る
松井 孝典先生も今日気になりだした。amazonをサーフしてたかろうか。
コトの本質 (単行本)
amazonの評価「『人の一生は「問いのレベル」に応じて決まる』(※)と言われます。「問いのレベル」が上がると、自然に「答えのレベル」が上がる訳です。そして「わかる こと」と「わからないこと」の境目を見極めるべく自問自答と試行錯誤を重ねて「考え抜く習慣」を継続することで、ある日「ヒラメキ」がやってくる。そんな 「ヒラメキの本質」について、松井先生が御自身の御体験を基に語っています。「地球(だけ)になぜ現在のような海が存在するのか?」という問いを発して以 来、約20年も考え抜いた末にある日ふとアイディアがひらめき、そして一気に視界が開けたというご経験を語っている下りは読み応えアリです。」が良いからだろうか。FM東京の「学問のススメ」で松井先生がゲストの回を聞いていたが、そのときの話題が上肢したばかりのこの本のことだった。
YouTubeでも、INFINITY 16の「真夏のオリオン」ストーリーのあるPVが気に入って、relatedをいろいろダウンしている。
★仲俣暁生さんの2007年のベスト↓
『ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る』
梅森直之・編著 光文社新書
『哲学の誤読 ―入試現代文で哲学する!』
入不二基義・ちくま新書
先入観とか、思い込みをしないようにしようと普段思っていても、こんなところで思い込みの回路で考えていることに気がつく。
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松井 孝典先生も今日気になりだした。amazonをサーフしてたかろうか。
コトの本質 (単行本)
amazonの評価「『人の一生は「問いのレベル」に応じて決まる』(※)と言われます。「問いのレベル」が上がると、自然に「答えのレベル」が上がる訳です。そして「わかる こと」と「わからないこと」の境目を見極めるべく自問自答と試行錯誤を重ねて「考え抜く習慣」を継続することで、ある日「ヒラメキ」がやってくる。そんな 「ヒラメキの本質」について、松井先生が御自身の御体験を基に語っています。「地球(だけ)になぜ現在のような海が存在するのか?」という問いを発して以 来、約20年も考え抜いた末にある日ふとアイディアがひらめき、そして一気に視界が開けたというご経験を語っている下りは読み応えアリです。」が良いからだろうか。FM東京の「学問のススメ」で松井先生がゲストの回を聞いていたが、そのときの話題が上肢したばかりのこの本のことだった。
YouTubeでも、INFINITY 16の「真夏のオリオン」ストーリーのあるPVが気に入って、relatedをいろいろダウンしている。
Tuesday, January 1, 2008
お正月の風景
正月なので、散歩のコースは市内の神社にしてみた。万歩計は、昨年最後に着たスーツに付いたままで、休みになって四日目だが、昨日までの三日間でノルマを果たせないのが心苦しい。
以前、初詣をするものだと思っていた頃、明治神宮にいくのが億劫で息子を自転車にのせ、市内の神社で済ませようかと思って正月二日か三日に行ってみたことがある。人はいなかった。暖をとるため注連飾りの消えかけの焚き火があったような気がするけど、普段と変わらない様子だった。
多分、街の西側の人の利用する神社。初めて、元日の昼過ぎに着てみたのだが、道路に面した鳥居から、100メートルぐらいの本殿まで列になって参拝を待っている人々がいた。一時間ぐらい並べば、拝礼できるのだろうか。なぜ並んでいるのか、以前がどうであったか知らないので、お行儀よく並ぶのが、整列参拝が例年のことか、最近の流行なのかは判断できない。
初詣といことで、宗教的な儀式の中では、礼節を守るものなのだろうか。かれらは。
費用対効果で、精神的な部分が図れない宗教的な出費。お賽銭や、破魔矢なの神事具は、自分を基準にして人の性向を判断できない。そんな、善人の列にはてなマークを頭上に掲げ、東の神社も見学しようと思った。
街を南北に分けていた私鉄、今は高架になり数年踏切がなくなり街を分割してはいないが、線路の向こう側という意識は残っている。東へは駅を通るのだが、駅前に割りと大き目のお寺がある。120年位前は神社と寺が同居してたので、初詣として寺にも参詣してたのだろうと想像して、よってみる。
鐘楼が境内の真ん中にある。垂直に近い階段がフリーで、参拝の人々が好き勝手に鐘付いていた。
以前、初詣をするものだと思っていた頃、明治神宮にいくのが億劫で息子を自転車にのせ、市内の神社で済ませようかと思って正月二日か三日に行ってみたことがある。人はいなかった。暖をとるため注連飾りの消えかけの焚き火があったような気がするけど、普段と変わらない様子だった。
多分、街の西側の人の利用する神社。初めて、元日の昼過ぎに着てみたのだが、道路に面した鳥居から、100メートルぐらいの本殿まで列になって参拝を待っている人々がいた。一時間ぐらい並べば、拝礼できるのだろうか。なぜ並んでいるのか、以前がどうであったか知らないので、お行儀よく並ぶのが、整列参拝が例年のことか、最近の流行なのかは判断できない。初詣といことで、宗教的な儀式の中では、礼節を守るものなのだろうか。かれらは。
費用対効果で、精神的な部分が図れない宗教的な出費。お賽銭や、破魔矢なの神事具は、自分を基準にして人の性向を判断できない。そんな、善人の列にはてなマークを頭上に掲げ、東の神社も見学しようと思った。
街を南北に分けていた私鉄、今は高架になり数年踏切がなくなり街を分割してはいないが、線路の向こう側という意識は残っている。東へは駅を通るのだが、駅前に割りと大き目のお寺がある。120年位前は神社と寺が同居してたので、初詣として寺にも参詣してたのだろうと想像して、よってみる。
鐘楼が境内の真ん中にある。垂直に近い階段がフリーで、参拝の人々が好き勝手に鐘付いていた。
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