多摩川や野川沿いが私の自転車のコースだが、野川の一部もそのコースに入ってる。二子多摩川からの帰り道はもっぱら、多摩堤通りを走っているのだが、地図を見ると多摩堤通りと平行してる通りに岡本民家園というのがある。雑誌のコースからは外れているたけど、今日はそのあたりを走ってみることにした。
ここらは、江戸時代の用水路あとに道ができていて家の近くの野川緑地公園 遊歩道を野川との合流地点を目指す。野川を越え東名高速をくぐって多摩堤通りを少し行き左に曲がり永安寺。仙川をこえたら横を六郷用水。
岡本民家園到着。公園になっているので、自転車を置いて、民家園から散策。
民家園好き。座敷に五月人形が飾ってあり、あがらせてもらって近くに寄って見た。

この民家園と同じ時代のものなのだろうか。200年前のもの?当時は光っていたのかもしれないが、今では、積み重ねた年月に溜まったくすみが、新品にない味がある。
どこの民家園でもそうだが、昼間訪れるので障子や襖が開け放たれていて、十分外の光が入る。でも、二十四時間くらすとなると、夜はどれだけくらいのだろうか。蝋燭や行灯、囲炉裏などのほのかな明かりの暮らしを思ってみる。
今の自分の暮らしとあまりにかけ離れている。
時間で生活しているので、冬は、夜明けごろ起きるけど、春分を過ぎた今頃は、起きるともう太陽はかなり昇り、明るくなっているのに寝ている。夜は、日が沈んで暗いのに、人造の電力を購入することにより、明かりや、このようなネットによる知的活動を続けることができている。
もし、地球が人工に寄らず、あるがままの姿であればどうなるのだろう。
思考がとぶけど、二酸化炭素の排出量を制限することが、地球温暖化の阻止になるというのも、もっともだが、二酸化炭素排出阻止が、文明、人工物の利用の規制を促すだけの今日の動向は、うそ臭い。化石燃料の消費をやめ二酸化炭素を人工の二酸化炭素を排出しないという選択肢は始めからないのであれば、どれほどがんばっても個人、民族、国家の利害で、地球という誰のものでもない超自然の寿命を縮めている。地球に発生した人類もまた地球と運命共同体なら、人工も地球の歴史であり、別にあせらず生物の住めない惑星にしてしまうのが本来の姿なのだろうか。
民家園で、考えた。
母屋の裏手にまわると、神社につながっていて、急な階段。そのまま登って探検気分。神社の裏手が、静嘉堂美術館の裏につながっている。



岩崎家の屋敷跡なのかな。丘になってて木が多く遊歩道はこれまた、探検気分。 遺跡発見。

インドか?




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