コンピューターは手段か、目的か。
コンピューターを使うことと、使えるようにすること。
ATMや、何でも良いけど操作端末があり、その先にどんなマシンがわからないとする。
その先にあるマシンがいわゆるコンピューターなのか、コンピューターで制御された何らかの目的を実現するためのマシンなのか。機会が苦手という人は、キーボードであれ、暗証番号や金額を入力するテンキーであれ、はたまた、携帯電話のボタンのすべてが、自分の意図を相手/マシンに伝える手段として、なじめないと感じているのだと思うけど。
その先のマシンは、すべてがコンピューターといえる。PCのように汎用といことで、キーやマウスの入力装置、デイスプレーやスピーカーといった出力装置が、アプリケーションプログラムの機能により、さまざまな使われ方ができるコンピューター。汎用じゃなく、その機能としてきめられたことしかできない入出力装置と、ひとつの目的の演算処理。家電や、アプライアンス機器。そのようなチップを汎用機のコンピューターをイメージするとコンピューターと呼べないなけ、「特定の目的」「汎用」という言葉を気にしなければ、コンピューターが、かつての道具ということになる。
その道具は、その使われ方をモデルとして、コンピューターにあたらしいパラダイムが乗る。そのひとつがTagということ。
現実世界ではファイルをフォルダーにいれて整理する。フォルダーはふたを閉めてしまえば、あけてみなければ、中に何があるのかわからない。唯一フォルダーにつけた名前だけが、そのフォルダーの中身を知るための情報。このモデルが、Windowsや、Unixのファイル・システム。フォルダー・ツリーや、ディレクトリーを再帰的に表示するオプションがあるけど、これは、透明なフォルダーのモデル。
TAGは、ファイルやフォルダーに自分でタグ(札)つけるのだが、コンピューターがその札ごとにどこかに格納してくれるし、タグのついたファイルを集めて一覧を見せてくれる。現実世界では、すべてのファイルをどこかに置いて、タグごとに集めてくれる誰かがいなければいけない。タグは何枚でもつけることも可能だ。
ここまで考えて、「誰かがいなければ」ということに気が付いた。明日までに終わらなければ行かない仕事を前にして、寝てるあいだに小人さんがやってくれればとおもっていたこと、つまり私の代理で私の仕事をしてくれる誰かを望んでいたことだ。私の仕事何だけど、私の代わりにやってくれる小人さん。タグなんかはそのモデルなんだろうか。
プログラムは、自分がやりたいことを自分より早く正確におこなう、まさに小人さんなんだから、その小人さんにやらせる仕事のモデルが、今後コンピューターに載せる、現実のモデルと考える。
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